離島医療にスポットを当てた人気のドラマDr.コトー診療所。現実の医療現場との相違とは?
Dr.コトー診療所のような診療所はあるの?
離島の医療機関には2通りあります。1つは大した設備がなく、ドラマのDr.コトー診療所のように大きな手術なんて行えないようなプライマリ・ケア限定の医療機関です。開業医が行っている町医者クラスの設備しかなく、重症患者さんは本土の基幹病院へと送るしかないという状態で運営しているものになります。
X線と超音波装置、あとは内視鏡があるかどうか…CTスキャンがあれば設備的には優れた部類に入るという状態…。あえて厳しい捉え方をすれば“行政として、きちんと医療へき地である離島にも診療所を設置していますよ”とアピールするために存在するような医療機関です。
本土の病院へ行くとなれば患者さんの経済的負担もかなりのものになりますし、非常に不便な診療所というしかありません。政府が設置した離島&へき地医療の医師を育てる自治医科大学は、まさにこういった方式を採っています。
もう1つは、ある程度の人口規模を持つ離島限定ですが、本土の基幹病院と比べても遜色ないような設備の整った病院を設置したというもの。医療が島内で完結するという強みがある一方、医療市場の大きさに対して過剰な医療機関なので経営面に不安があり、設備を活用できるだけの能力を持った医師が確保できるかどうかに懸念が残ります。
実際、規模や設備的には大病院でありながら医師を大量に配属することはできないため、医師や看護師の負担が増し、普通のメンタリティでは務まらないほどの激務になる例が多い模様。これは徳州会という医療法人が採用している方法です。
さて、Dr.コトー診療所ですが、あれは後者の方法が非現実的なほど円滑に運営されているという仮定条件のもとでだけ成立するフィクション特有の医療機関と言わざるを得ません。人気の理由は“へき地にもあんな病院があったら、どんなに良いだろう”とか“充分に設備のある病院で、人情味に満ちた医師が働いている病院があったら夢のようだ”という人々の希望を体現してくれたからでしょう。
実際に離島診療所で働いている今、言えること
私は看護師として離島診療所に勤めていますが、最初に離島へのあこがれを抱いたきっかけはやはりDr.コトー診療所でした。あんなドラマみたいな人生を送れたらどんなに幸せだろう、という子供のような動機だったのです。
もちろん、そんな甘い考えはあっさりと打ち砕かれました。
私の勤めている診療所は自治医科大学式の診療所で、とても高度な医療を扱えるような場所ではありません。
通常診療だけでなく救急患者の応急処置、往診まで行っているので忙しさだけは半端ないですが、手術なんて出来ません。救急患者さんが本当に重度疾患だった場合にはヘリで周辺の大病院に搬送することもあり、一刻を争うような事態では“自分たちがいかに無力か”を実感させられます。
Dr.コトー診療所のドラマでは、胃の造影写真から明らかにスキルス性の胃がんと思われる症例で、しかも腹水からも癌細胞が出るような状態にも関わらず、なぜかDr.コトーが手術で完治させるというトンデモ展開がありましたが、現実にはそうはいきません。手遅れであれば救えませんし、名医でも出来ないものは出来ないのです。
他にもブラックジャックや、ゴッドハンド輝といった作品に見られるようなフィクション全開の“基本的に患者が100%助かる”という展開にはなりません。むしろ、離島であるがゆえに“本土なら助かるかもしれなかった命”が指の間からこぼれていくことこそ、私たちを取り巻く現実です。
でも、だからといってDr.コトー診療所のような作品を批判するつもりはありません。ああいった作品によって離島医療に光が当たり、離島診療所勤務を目指す人材が1人でも増えるなら喜ばしいことです。また、私たち自身、離島の診療所で多くの治療が成功し、患者さんが生命力を取り戻していくという過程を見ると、気力が奮い立ちます。
ただ、可能ならそれだけで終わらず、離島に充分な設備を有し、かつ医師確保や経営面にも問題のない医療機関が本当に誕生することが何よりの願い。Dr.コトー診療所が現実になる日を、私自身も待ちわびているのです。